大事な会議の最中であれ、問題を解くために頭を集中させたいときであれ、突如頭の中で何かの歌のループ再生が始まって、自分の意志で停止ボタンを押せないような経験をしたことがきっと誰しもあるんじゃないかと思うんだけれど、たまに、その何十回のループのなかで不意に新しい発見をすることがある。
「赤鼻のトナカイ」の歌詞、僕は長いこと「暗いよ、道は。ピカピカの~」だと思っていたんだけど、大人になってから、ある日の脳内ループ再生中に「『暗い夜道は』か!!」っていうことに唐突に気がついた。
他には、たとえばハヌマーンの「Fever Believer Feedback」という歌。
ハヌマーン 「Fever Believer Feedback」 (PV) - YouTube
パチンコ店の人間模様を描いた歌詞の中に「腹いせに彼らが投げていった火の付いたままの匙を拾って」という表現があるんだけど、これもある日唐突に、そうか、"火の付いたままの匙"ってタバコのことか!っていうことに脈絡もなく気づいてにやりとした。
同じ刺激をただ何回も何回も受ける中で唐突に現れるこのアハ体験って一体何なんだろうなーと、ちょっと面白く感じている。
話がとぶけれど、小学1年のとき(ほんとうに俺はよくこんなことを覚えているな…)、クラスの誰かがなんか悪さをして、教室で先生が説教したあとで、みんなにむかってこんなことを話した。
「これから先生が話すことは、いまの君たちにはよくわからないかもしれないが、いつかわかる日が来るから、それまで覚えておいてほしい。悪いことをするとき、誰にも見られていないと思っても、それを見ている人が必ず2人は居る。1人は神様だ。そしてもう1人は、自分だ。自分が必ず見ている」
もちろん細かい言い回しまでは覚えていないけど、おおよそこんな話。
んで、内容についても興味深いものはあるんだけど、いま問題にしたいのは、これを小学1年生に対して話そうと思った先生の素敵さよ。
個人的な見解として、自分は、説いて聞かせた言葉で他人を変えることなんて基本的に不可能だと思っている人間だ。
安いドラマで見る、熱血漢が「~~じゃねぇかよ!!」って声の限りに叫んだのを受けて相手が「俺が間違ってたよ…」っつって改心しましためでたしめでたしなんてことは、まずありえないと思っている。
人の話を聞いた瞬間に全て理解して納得して改心できるような頭の良い人間なら、そんなこと言われるまでもなく気づいとるわって話だろう。
思うに、ふつう人は、言われたことを記憶して、咀嚼して、自分の文脈で再発見して、初めて心から納得する。ああ、あれはそういうことだったのかと。
あのとき先生の言った、「いまはわからないかもしれないが、いつかわかる日が来る」っていうのは、そういう意味で教育の本質なんじゃないかとさえ思えてくる。
前段のトナカイの話からはずいぶん論理に飛躍があるけれど、自分の中でループしているうちに突然はっと気が付くっていうことが、歌に限らずあるのかもしれないねという話でした。